時代(もしくはWAVE補完計画)

(基本的にリンクフリーです。上記のバナーをご利用下さい)

作画:THE SEIJI
文責:藤下真潮

 このホームページは秋田書店ヤングチャンピオン掲載、『WAVE』(2007年1月1日号〜)を補完するためのページです。とりあえず作中の主要キーワードを適当に抜き出して解説しちゃおうというのが基本ベースです。

 作品『WAVE』自体は、来るべきITの新たなる波に対してどーたらこーたらという話になるはず?だろうと思われるが(自信ない)、このページ自体は文責者:藤下真潮がロートル(いきなり余談なんだけどロートルって中国語なのね、さっきはじめて知った)なんで、主に復古調の話が主体になります。若い人には面白くもなんともないかもしれないけれど、ひとつまあよろしくということで・・・


2007年12月20日単行本第1巻発売されました。

 

第24話
ヤングチャンピオン烈
2008年13号

 

 

キーワード:クロック偽装

 のっけから余談で申し訳ありませんが、相変わらず掲載紙が編集部から届かないので、今回の画像はネーム段階のヤツです。
 今までは自分で本屋に買いに走っていたのですが、さすがにもう面倒なので雑誌の入手もあきらめました。
 けっきょく「烈」に掲載が移行してから一度も掲載紙が届いていません。此処のホームページのURLも雑誌に掲載されなくなって久しいです。まあこんなホームページをやったところで、売上につながるわけでもないですしね。というわけで今回24話を最後に更新は停止する予定です。
 今まで見に来ていただいたお客さんには申し訳ないとは思いますが、私も気力とネタが続かないです。

 てなわけで今回のキーワード:クロック偽装。左のネームと最終的に掲載されたセリフに食い違いがあると思いますが、大きくは違わないはずです。

 時代は1981年頃。この頃すでにインテルでは486DXは販売されておりましたが、まだ高価なため、主流は386DXでした。
  別にこのCPUに限ったわけではありませんが、基本的にCPUの動作クロックにはマージン(余裕)があります。例えば100MHz動作のCPUは、120MHzのクロックを与えても、ほぼ動作はします。
 ただしこれが150MHzや180MHzで動作するかとか、120MHzでも長時間に渡って安定的に動作するかは別問題です。

 100MHz定格のCPUがどれだけ高速に動作するかという問題に関しては、一つ一つのCPUの個体差があるので、これ位なら大丈夫と明確には答えられません。また放熱をきちんとやれるかどうかでも条件は大きく変わります。まあぶっちゃけ言うと速度2割り増しなら何とかなるだろうというくらいです。

 でもってこのクロック数を誤魔化すという詐欺まがいのことは、日本のショップにおいて実際行われたかどうかはあまり定かではありません。しかしながら半導体の製造工場があった東南アジアあたりでは組織的に行われたケースがありました。そんなわけでCPU表面の表記も刻印入れたりさらにはホログラム印刷したりと、メーカー各社が対策に躍起になった時期もありました。

 最近では手間の割には儲からないのか、この手の事件はあまり聞きません。

 えーと最後にちょっと。来月2巻目が無事刊行されるようです(これも他人事みたいだな)

 

 

第23話
ヤングチャンピオン烈
2008年12号

キーワード:ダイヤルQ2

 新キャラ出ました。聖子です。設定ではチビな筈なんですが、作画ではあんまり小さく見えません。頭身とか目の描き方とかの問題なのかな〜。

 閑話休題

 ダイヤルQ2は、1990年7月(試験開始は前年)にNTTが始めた電話回線を利用した有料情報提供システムのことです。現在でもまだ行われていますが、みんなほとんど忘却の彼方でしょう。

 運営直後からアダルトサイトが乱立し、わずか半年後の91年1月にはわいせつ物公然陳列罪で逮捕者が出る始末です。

 作中に描かれたように違法テレカを使って荒稼ぎする輩も出現し、NTTは91年5月には、公衆電話からのQ2ダイヤルを規制します。つまりこの手の荒稼ぎが可能だったのは、結構短い期間だったわけです。 

 NTTは違法テレカの撃退に躍起になり様々な対策を施しますが、イタチごっこで収まりがつきません。1999年には、ついにテレホンカードをあきらめて偽造が難しいICカード式に切り替えます。しかしながらすでに爆発的に普及を始めた携帯電話により、公衆電話自体の寿命が尽きます。

 いまではテレホンカードといえば、PC用アダルトゲームソフトのオマケくらいしか見当たりません。

余談:相変わらず掲載紙が送られてこない(T_T)

 

 

第22話
ヤングチャンピオン烈
2008年11号掲載

 

キーワード:DOS/V

 「DOS/V」という言葉は、日本ではDOS/V機を意味しますが、本来はOSを指す言葉です。では海外でDOS/V機をなんて呼んでいるかといえば「IBM PC互換機(IBM PC Compatiible)」もしくは「PCクローン(PC Clone)」です。まあ、どうでもいい話ですが。

 実のところ今回監修ミスをしてしまいました。左の絵ですが、パッケージに「MS−DOS4.0JV」と書かれておりますが、こんなバージョンは存在しません。ちなみに「MS−DOSバージョン4.0」は存在しますが、このOSには非漢字ロム搭載機に日本語を表示する機能はありません。

 言い訳にはなりますが、ネーム段階ではパッケージに文字が書き込まれていなかったんですよ(^^;。でもまあ、パッケージ内容を指定しなかった監修者が悪いのですが。

閑話休題

 「IBM DOSバージョンJ4.0V」(1990年発売)は、もちろんマイクロソフトの「MS−DOSバージョン4」(1988年発売)と互換のOSですが、このバージョン4は、IBM主導で開発し特殊な機能を盛り込んだため、非常にバグが多く不人気でした(NECからは98用として販売されなかった)。実際にDOS/Vとして普及を始めるのは1991年6月から販売されたバージョン5からになります。

 いままでNECのPC−98(互換機)に独占されていた日本のパソコン市場は、このOSの出現により海外勢を含め混戦状態となり。値段も急激に定価を始めるようになります。

 それまでのPCユーザにとっては黒船の来航みたいなモンでした。

 

 

第21話
ヤングチャンピオン烈
2007年10号掲載

 

キーワード:ザナドゥ計画

 ヤングチャンピオン烈に移籍(左遷とも言う)後、第1回です。今回話は主に回想編なので繕は、相変わらず前回同様にやさぐれたまんまです。繕は、やさぐれた姿が一番似合うような気がします。

 閑話休題

 ザナドゥ計画(Xanadu Project)は、1960年にテッド・ネルソンにより提唱されたプロジェクトです。コンピュータエンジニアで、昔々この言葉を聞いた人間も、今では忘却の彼方にあるかもしれない単語です。

 ザナドゥがどんなモノであるかを一言で云えば、複数のコンピュータ上の文書間で総合リンクを可能とするシステムと云えます。この仕組みはハイパーテキストと呼ばれており、WWW(World Wide Web)上のホームページのリンクにも使われております。ちなみにホームページを記述するファイル形式のHTMLとは、ハイパーテキスト・マークアップ・ランゲージの略です。

 それでは、ザナドゥ計画の目指すモノがWWWの普及により完成を見たかと云えば、テッド・ネルソンに言わせれば「全然こんなもん違うワイ」という事のようです。

 WWWは、基本的にサーバー形式でリンクも片方向ですが、ザナドゥはパソコン同士を直接連結するピア・ツー・ピアでリンクも双方向になります。しかもザナドゥでは版数管理まで行われます。

 どちらが理想的かと言えば、あきらかにザナドゥの方が理想的ではありますが、プロジェクト提唱から40ウン年経過した現在でもモデル構築が行われない現状を見ると、ザナドゥというモノは、あまりに複雑すぎて普及させるのは困難と観るべきでしょう。

 ザナドゥの元々の意味はフビライ・ハーンがモンゴルに築いた都で、西洋では理想郷の意味合いで使われる単語です。高すぎる理想には手が届かないと云うことでしょうか。

 

 

第20話 2007年21号

 

キーワード:金回収

 PC基板の様な電子回路基板の中には、主に二つの部位に金が使用されています。

 一つはコネクタの端子接触部分です。なるたけ接触抵抗が少なくなるのが理想なので、金は結構使われておりました。しかしながら今では、昔よりコネクターがコンパクトなっているため、端子の表面積が減ったことと、金に変わる新しい合金が使用されるケースが多くなってきたため、昔ほどコネクターには金が使われなくなっております。

 もう一つは、ICチップ内部のシリコンウェアハーと端子を接続するためのボンディングワイヤーと呼ばれる物が金を使用しております。最近は、パソコンの高機能化によりボンディングワイヤーの比率は上がっていたのですが、最近になって金の代わりに銅でボンディングする技術も出てきましたので、金の含有量は減っているようです。

 最近ではPCよりも携帯電話の方が数が集まるようなので、こちらで金回収をする業者が多いようです。ちなみに携帯電話約1万台分から約280グラムの金が回収できるようです(1台あたり0.028g)。何だそれっぽっちかと思うかもしれませんが、これでも金鉱石から金を抽出するよりは、格段に効率はよいそうです。

 おまけ

 作中に出ていたストリートファイターUの改造版の画像は、ここで拝めます。

レインボー
http://raguun.jp/view_video.php?viewkey=63ceaedb29d19875c950

降龍
http://raguun.jp/view_video.php?viewkey=2c5ebb1f6522d19c6df3

屠龍
http://raguun.jp/view_video.php?viewkey=5e5fa8a8e565e92541a9

 

 ついに「WAVE」単行本第1巻が発売されます。発売日は12月20日(木)です。みなさまよろしくm(_ _)m。

 ついでに次回21話からは掲載紙が変わります。21話は、ヤングチャンピオン烈10号(12月18日発売)に掲載です。こちらで引き続きよろしくお願いいたします。

 

 

 

第19話 2007年20号

 

 

 キーワード:九龍

 香港の九龍地区(九龍城砦よりは、広いエリアを指す)は、アジアの電脳街の先駆けとなった地域です。1991年〜95年頃にかけて日本からもDOS/V機を購入するためのツアーが流行りました。

 今まで海外製パソコンに目もくれなかった日本のPCユーザが、突然IBM−PC互換機(DOS/V機)に注目するようになったのには、一つのきっかけがありました。

 それが90年の年末に発売された「IBM DOSバージョンJ4.0/V」です。このOSは要するにマイクロソフトのMS−DOSの互換OSでしたが、ひとつ重要な機能拡張がなされました。それは今まで漢字ROMというハードウェアに頼っていた日本語表示機能をソフトウェアで実現したことでした。

 この新しいOSの発売により、日本語環境をサポートしない海外製ハードウェアに於いても日本語環境が使えるマシンを構築できることになりました。

 日本製のマシンに比べて同じ性能のマシンが半値以下で購入できる。旅費を含めてもお釣りが来るということで、コアなマニアはこぞってこの時期香港にパソコン買いに行きました。

 九龍城砦は当時魔窟的なイメージが付きまとっていましたので、さすがに一般の観光客が立ち入ることはありませんでした(電脳街は九龍城砦の外のエリア)。

 九龍城砦は、扉にも書いたように文字通りの治外法権地域だったので、違法なソフトコピーとか、盗品の売買などは結構行われていたようです。

 個人的には香港には、行ったことがないのであまり詳しくはないのですが。

 それにしても18話からいきなり5年もたってしまいました。もはや監修者にも、この先の展開は読めません(^^;

 

 

第18話 2007年19号

 

キーワード:Mac

 扉の『1984』のCMはアップル社が1984年の「スーパーボウル」に於いて放映した物です。この伝説のCM画像はこちらで観ることが出来ます。

 スクリーンに映るのはビッグ・ブルー、つまり当時パソコン業界を支配していた”IBM”を表しています。

 ナレーションは次のように語っています。”1月24日、アップルコンピュータ社は、Macintoshを発表します。そのとき、1984年が小説『1984年』のようにはならないということが、きっとお分かりになるでしょう。”

 つまりこのCMは、ジョージ・オーウェルの有名な反ユートピア小説「1984年」のパロディでもあるわけです。

 

 

第17話 2007年18号

 

キーワード:CRAY−1

 今回話中にネタがないので、扉から。ついでにいまだに掲載紙が届いていないので、絵の方はネーム原稿から流用。

 CRAY−1は、シーモア・クレイ博士によって設立されたクレイ・リサーチ社から1976年にリリースされた。スーパーコンピュータの歴史はここから始まったと言っても過言ではない。

 円筒形を一部切断された”C”型形状の独特なスタイルと、安定した性能と高速性能(速度的には当時でも最速ではなかった)により、20億円という値段にもかかわらず、かなりの販売実績をあげた。

 その後、複数CPU(ベクトルプロセッサ)を連結したCRAY X−MP、Y−MPとヒットを飛ばすが、肝心の新モデルのCRAY−2は、当初期待した性能が出なかった。また1980年代後半になると超並列方式の他所のスーパーコンピュータに市場を奪われ、さらにCRAY−3も価格に見合う性能が出せず失敗した(販売実績は1台)。1995年クレイリサーチ社は破産し、翌1996年2月にSGI社に吸収される。そして同年10月、シーモア・クレイ博士は自動車事故により死去。享年71歳であった。

 その後、クレイリサーチ社はSGI社からテラ・コンピュータへと売却され、テラ・コンピュータは2000年4月にクレイ社へと名称変更した。

 2007年現在クレイ社からは、CRAY−XT4が発売されている。性能は50Tフロップス。実にCRAY−1の30万倍の性能を達成した。

またまた業務連絡二つ。

・編集:U澤様 掲載紙届いておりません。

・SEIJI先生 電話に出てください(泣

 

 

第16話2007年17号

キーワード:ATコマンド

 発売日を勘違いしたのと、お盆で帰省していたのですっかり更新が遅れてしまいました。すいませんm(_ _)m

 1986年当時のパソコン通信環境といえば、ようやくニフティサーブ、PC−VAN、アスキーネット等がサービスを開始した年です。これらのホスト局の創設により、不特定の相手とのパソコンによる通信が可能になりました(UNIX系ネットは除く)。

 それではホスト局が創設される以前はどうしていたかというと、特定のパソコン同士の一対一接続(ピアツーピアみたいな物)で行っていました。16話で堀川と矢部が行っているのは、この方式による物です。

 具体的にはパソコン上の通信ターミナルソフトを用い、ヘイズATコマンドと呼ばれるモデム制御コマンドを用いて接続を行いました。もともとヘイズATコマンドは、ヘイズ社(Hayes Computer Products社)というモデムメーカが開発したコマンド体系でしたが、各社のモデムにも採用され、この当時はほぼ業界標準となっておりました。

 

 

第15話2007年15号

 

 

キーワード:シグマ計画

 シグマ計画については下の方で一度紹介しているので今更なんですが。最近技術ネタが薄くて、解説するモノがちょっと…汗

 脚注で”約1003人のプログラマーが不足”とありますが、”約100万人のプログラマーが不足”の誤植です。編集さんにはメールデータで送っているはずなのですが、どうしてこういう誤植が発生するのか理由がよくわかりません(^^;。写植を依頼するときは結局手書きになるのですかね?

 まあ5年間で約250億円ばらまいたわけですが、その大半は大規模コンピュータメーカや大規模ソフトウェアハウスを一時的に潤しただけです。擁護するわけではないのですが、まあ国家プロジェクトの失敗例としては、250億円は可愛いモノです。

 わたし自身もう20年も昔のことなので、ほとんど忘れておりました。この当時ワークステーションと呼ばれるUNIX系コンピュータが流行っておりまして、シグマでもこのワークステーションがさかんに使われておりました。このUNIXというOSに関しても2系統あって”ATTシステムV”と”4.2BSD”がどっちが良いとか悪いとかの議論も白熱しておりました。

 でも、もう大半が忘却の彼方(^^;。

 次回16号は1回お休みになります。16話は17号掲載となります。よろしくです。

 

 

第14話2007年14号

 

キーワード:ファミコン ディスクシステム その2

 今回左の絵とネタは全然関係在りません。ネタに絡む画像がとりあえず無かったので静ちゃんをスキャンしてみました(^^;

  さて前回の続きです。任天堂のディスクシステムは、ミツミ製のクイックディスクをベースに商品化されたモノです。クイックディスクとは一部カートリッジの形状が違いましたが、その他の部分は全く一緒です。

 外見的には3.5インチのフロッピーディスクに近いモノでしたが、内部的にはかなり違いがありました。

 フロッピーディスクの場合はトラックと呼ばれる同心円方向に刻まれた、記録領域があります。3.5インチフロッピーの場合、片面で80トラックあります。

 ディスクシステムで使われたディスクカートリッジの場合はトラックに相当するモノは一つしか在りませんでした。つまり同心円状に記録するのではなく渦巻き状に記録したのです。まあ溝の少ないレコードを思い浮べてみてください。

 そんなわけで、回転式磁気メディア特有のランダムアクセスは、このディスクシステムでは不可能でした。ただし所詮片面64kバイトが限界なので、ランダムアクセス出来ないことがそれほど不都合だったわけでもありません。

 使用されている磁気ヘッドは、FD等に使われているようなヘッドではなく、どちらかというとオーディオ用に近い形状の磁気ヘッドが使われておりました。このことから考えても、このメディアはフロッピーディスクのコストダウンではなく、磁気テープの形状を変更した技術で成り立っていたようです。

 ちなみにもとになったクイックディスクは一部のパソコンに採用されたり、MSXの周辺機器として発売されたり、シンセサイザーのMIDIデータ保存用に使われたりしましたが、ファミコンディスクシステムほどは普及しませんでした。

 

 

第13話」2007年13号

 

キーワード:ファミコン ディスクシステム

 任天堂ディスクシステムは、1986年2月21日に発売された。

 当時のテレビCMはこちらで観られます。

 当時の半導体技術では限界があったROM容量の制限を打破するために鳴り物入りで販売されました。ファミコンの周辺機器としては最高の400万台を販売。

 しかしながら半導体の技術進歩により大容量のROMカセットが出現すると、逆に両面で112KBと云う容量が足かせになり、次第にディスク対応のソフトが少なくなってしまいました。

 また任天堂未公認の裏ソフトの温床ともなったため、任天堂では、これ以降書き換え可能なメディアでの販売には熱心でなくなります。

 内部構造とかは次回で説明します。

 

 

第12話:2007年12号

 

キーワード:金型

 メーカーで商品開発していた頃は、この金型には悩まされました。金型製作をやっていたわけではないので、製造面での話ではありません。それは金型償却費というものです。

 例えば携帯液晶ゲーム(たまごっちの様なもの)を開発するとします。どんなに簡単な構造を考えても、ケースの表側、ケースの裏側、液晶面の透明窓、電池蓋と4つのプラスチック成型品が必要になります。まあ小さな物ですから、ケースの二つと電池蓋はひとつの金型からとれるとしても、透明パーツは一緒には出来ませんから、最低二つの金型が必要になります。

 金型ひとつが例えば200万円(大きさや形状の複雑さで値段は違います)とします。二つで400万円です。このゲーム機の販売価格を2000円とします。原価としては半分くらいの1000円が限界です。電子部品は1千個仕入れれば1千個分の値段ですし、1万個仕入れれば1万個分の値段です(量に応じて多少のディスカウントはありますが)。

 しかしまあケースの方は話が違います。400万円の金型を使って1千個しか作らなければ、ケースの部品代は単純に4000円になります。しかし1万個作れば400円になります。10万個なら40円です。金型を使って実際にケースを作る作業賃は材料費入れても数円のオーダーなのでほとんど無視できます。

 要するに何個作るかで、原価がまるで変わってくる世界なのです。この辺は印刷業界なんかでも似たような話がありますが。

 

 

第11話:2007年11号

 

キーワード:ドッター

 1600万色表示が当たり前の現在では、ゲームの画像も原画をスキャンして多生補正やツールで着色すればできあがりとなる。

 しかしまあこの当時は、まともなペイントツール等もなく、512色中の8色しか使えないとなれば、ドット単位の混色を手作業で行うしか手段がありませんでした。

 このドット絵の作成を専門で行う人間のことをドット打ちとかドッターなどと呼んでいました。今ではそんな作業する人間は居なくなっているかと云えばそうでもなくて、いまだに現役で活躍しています。RPG等の小さなキャラクター等に関して云えばいまだにこのドッターの作業抜きでは、キャラクターの絵柄を作り出すことが出来ません。

 ちなみに当時のドット絵がどんな雰囲気だったかといえば

 これが原画だとすれば、ドット絵はこんな感じでした。

 ドット絵の方はちょっとずるして9色ですが、当時の雰囲気は出ていると思います。今回はツール使っていますが、昔は当然手作業。これで肌色などを作り出すのは、本当に職人技です。つくづく日本人というのは器用だなと思います。

 

 

第10話:2007年10号

 

キーワード:8色

 この当時のパソコンは、解像度に関しては640×200とか640×400程度の表示は可能であったが、色に関しては同時発色8色とか16色程度の表示しかできなかった。9話目で出てきたFM−77AVがようやく4096色同時発色を可能にした程度であった。

 これはビデオ回路の技術が未発達だったという理由ではない。ビデオ回路に使う高速なビデオメモリー(RAM)の値段が高価だったという理由による。

 PC8801MarkIISRにどのくらいのビデオメモリーが積まれていたかと云えば

 640×200×3÷8=48000(48kバイト)

 であった。

 現在主流の1024×768の解像度で1600万色を表示させるのに必要なビデオメモリーは

 1024×768×24÷8=2359296(2.36Mバイト)

 実に当時の50倍近いメモリーが搭載されています(実際にはもっと大量のメモリーが乗っています)。

 半導体価格の低下はこんなところにも活かされているわけです。

 

 

第9話:2007年9号

 

キーワード:互換性

 今ではパソコンのアーキテクチャ(基本構造というような意味)といえば、WindowsマシンとMacの2種類に大別され、Windows用のソフトであればメーカがNECだろうが東芝だろうが動くのは当たり前です。

 しかしこの当時はメーカ毎というかマシン毎にアーキテクチャが違い、例えばNECのPC8801で動くソフトは富士通のFM-7では動きませんでした。

 これは主にOSの未発達、採用しているCPUの違い、表示関係の能力等によることが主原因でした。

 富士通FM−77AVは、当時としては画期的な4096色同時発色が可能でしたが、他のマシンはせいぜい8色表示程度でした。では断トツに高性能なFM−77AVが売れたかというと、さっぱり売れませんでした。

 理由は4096色を生かすためのソフトが無かったためです。ソフトを作るメーカ(ソフトハウス)側としては、出たばかりのFM−77AVに対応したソフトを作るよりは、すでにかなりの数が販売されていたPC−8801やPC−9801のソフトを開発した方が、明らかに販売数を見込めます。

 まあベータとVHSみたいな力関係がこの時点で始まっていたわけです。

 

第8話:2007年8号

 

キーワード:カード偽造

 作中に出てきた機械は、ATM等に組み込む用のカードリーダ(兼ライターです)。

 昔のカードはセキュリティも甘く、磁気情報中に暗証番号までもが埋め込まれておりました(今では暗証番号は含まれておりません)。ですから機械にかければ一発で暗証番号も分かってしまいます。

 こんな機械を使わなくても、携帯カイロの中身に含まれている鉄粉を磁気テープ面に振りかけると、こんな感じで磁気ストライプを拝むことも出来ます。この磁気ストライプが直接1,0のデジタル情報に対応するわけではないのですが、多少の知識があれば、このストライプ模様からデジタル情報を読み取ることも可能です。

 ある漫画でこの振りかけた鉄粉のストライプ模様をセロテープで写し取って偽造カードを作るというネタがありましたが、残念ながら鉄粉はこのカード程度の磁気では磁化しないので、模様としては写し取れても情報としては写し取ることは無理な話です。

 最近ではセキュリティ対策としてカード中にICを埋め込んだり、指の静脈で認証するようなシステムが出てきております。しかし結局リーダーに細工されてしまえば、情報の漏洩を防ぐことは出来ません。

 そんなわけでくれぐれもカードの取り扱いには気をつけましょう。特に静脈認証の場合は、いったん静脈のデータが漏洩してしまったら、カードは変更できても、静脈を変更することも指を変更することも出来ないのですから、被害は莫大なものになります。

 私としては、いったい何を考えて静脈認証のシステムなどを導入しているのか理解に苦しみます。

 

 

第7話(2007年7号)

 

キーワード:2+3

 コンピュータの内部で”2+3”という計算がどのように行われるかを説明するのは、簡単なようでいて実は難しい。

 投げやりにやってしまうと、”足し算をやるための回路が中に入っているのです”で済ますことも出来るが、それではやっぱりちゃんとした説明とは云えない。じゃあ、ちゃんとした説明をしようとすると”論理演算”という物から説明しなければならない。これはこれでとても大変なのでやっぱり説明をパスせざる終えないというのが実情です。

 これで今週の説明を終わらせてしまうことも可能なのですが、それではあまりに愛想無しなので、なぜコンピュータが2進数を使うのか説明したいと思います。

 その前に基本を・・・。2進数とか10進数という言葉を使いますが、基本的に2進数という特別な数があるわけではありません。正確には2進法(もっと正確には”2進位取記数法”)とか10進法(10進位取記数法)とよぶ数の表記法でしかありません。要は位取りによる表記が変わるだけで数の扱いが変わるわけではありません。

 えー、話戻します。なぜコンピュータが2進数を使うかと云えば、それは電子回路が造りやすいからに他なりません。2進数ならば0か1のレベル、電子回路的にいえば0Vもしくは5Vという2種類の電圧レベルで表すことが出来ます(あくまでも例です)。これを10進数で考えると0〜9の全部で10段階の電圧レベルを想定しなければなりません。このような回路が出来るか出来ないかで云えば、一応出来ます。ただし回路は複雑で、ノイズや伝送路末端などの電圧降下など動作不良につながる問題が山積みとなり、実際的ではなくなります。また演算回路だけならばよいのですが、記憶回路ともなれば、かなりの困難がつきまといます。

 一番簡単なたとえで云いますと、たぶん色の濃淡での表記との比較でしょう。2進数の0と1を白と黒の色でたとえましょう。0=白、1=黒とします。これは誰が見てもわかりやすいと思います。これを10進数ですると、0=白、1=11%の濃さの黒(灰色)、2=22%の濃さの黒(灰色)、・・・・9=99%の黒(ほぼ黒)となります。人が見て一目で11%の濃さの黒と22%の濃さの黒の識別が簡単に付くでしょうか。要するに電子回路でも同じ話です。

 ではすべてのコンピュータが2進数だったかというと、やっぱりどんな物にも例外はあります。1958年モスクワ大学のブレセンツォフにより世界最初(で最後)の3値論理(3進法)コンピュータ”Setun”が開発されます。当時としては信頼性も高く優れたマシンのようだったのですが、不遇な状況をたどって1970年には消えてしまったようです。

 最後に余談。マンガ中で”ADD 02,03”という表現が出てきますが、これは基本的にあり得ない命令です。理由は二つあります。一つめは、コンピュータの演算というものは、レジスタという計算専用のメモリを介して行われます。つまり2+3という計算を行う際には、

 MOV Reg,02 (レジスタに02を格納)
 ADD Reg,03 (レジスタの内容に03を加算)

 という風に行われます。つまり加算の場合でも必ず最低2命令は必要になります。しかしながらレジスタを明示せずにコンピュータ内で自動的にレジスタが確保される仕組みもあり得ないわけではありません。つまり,

 ADD 02,03 (演算用レジスタにRegに02+03の結果を格納)

 という具合が考えられないか。理屈としては考えられますし、作ることは可能です。ただしもう一つの理由で、この命令はナンセンスです。

 なぜならば”2+3”はコンピュータに計算させるまでもなく、命令を書いている段階で結果が”5”であることは自明です。これは桁数の問題ではありません。事前に分かり切ったことをコンピュータにわざわざ演算させる命令を作ること自体無意味な話です。そのようなわけで、1命令で2値の足し算を行う命令という物は、どんなコンピュータにも採用されておりません。

 今回小難しい話ですいません。

 バナー出来ました。リンク張る際にはご自由にお使い下さい。

 

 

第6話(2007年6号)

 

キーワード:音響カプラ

 ADSLやFTTH(光通信)が全盛で、もはや通信モデムすら死語になりかけているこのご時世、音響カプラのことを覚えている人も、もはや少ないのでは…

 音響カプラの電気的構造は、通信モデムと基本的に変わりません。デジタル信号を音声レベルの信号に変換する仕組みです。大きな違いは音声を受話器から流すのか、モジュラジャックから直接流すかの違いだけです。でも直接受話器にマイクとスピーカを介して繋ぐ方法は外部の雑音も拾いやすく、エラーなども起きやすい方式でした。

 ではなぜ音響カプラという物が使われていたかというと、当時の電話機は、モジュラ接続されていることはマレだったためです。1985年のNTT民営化連動による端末自由化以前は、電話機といえば黒電話で、電話回線との接続はほぼ直結に近い状態でした。通信モデムを繋ごうにもモジュラコネクタを差せる口などどこにもない状態でした。てなわけで音響カプラという存在があったわけです。

 通信速度は300ボー程度(後に28.8kbpsまで高速化された)しかありません。ちなみにボーという単位は昔使われていた単位で、基本的にはbpsと同義に使われておりましたが、厳密には違います(ボーは変調速度を表す単位)。まれに300ボーで600bpsの通信速度が得られる物も存在しました。

 300ボーというのがどの程度のスピードかと云うと、朝日新聞のトップページ(約260kバイト程度)を表示させるのに2時間くらいかかります。こんな低速でも当時のテキスト主体の通信には十分でした。

 ところでPB100に無理矢理音響カプラ繋いでますが、カセットインタフェースケーブル経由でデータ通信が出来るかというと、理屈出来なくはないですが、現実問題はやっぱり無理です(^^;。PB100の中身をかなりいじくり廻せば出来なくもないかもという程度に不可能です。マンガ上の演出効果とお考え下さい。くれぐれもマネをしないように(誰もせんだろうけど)してください。

ここで業務連絡を二つ。

・SEIJI先生へ:早くこのページバナー作ってください。

・編集・U沢様へ:掲載誌が届いておりません。送って下さいませ。

以上よろしくです。

 

 

第5話(2007年5号)

 

キーワード:カセットテープ

 1980年代に趣味でパソコンをイジッテいた人には今更なんですが、当時パソコンに打ちこんだプログラムはカセットテープに保存していました。それも特にコンピュータ用というのがあるわけでもなくて、普通に音楽用のカセットテープを使うのが当たり前でした。

 もちろん1980年代中盤ともなれば普通にフロッピーディスクやハードディスクも市販はされておりましたが、一部お大尽にしか買えないような高価なものでした。

 ちなみにPC98シリーズ用のダブルディスクドライブが定価で12万9千円くらい、メディアの方も5インチで1枚500円から800円くらいしました(1985年当時)。

 てなわけで、お金のない人はこの時期でもカセットテープを使用しておりました。通常の音楽用のカセットテープと同じものですから、矢部君のように友人や家族に音楽を上書きされるという悲劇的な事もよくあったわけです。

 家族や友人も滅多に来ない独り者であっても、悲劇的なことはたびたび起きました。

 例えば、テープからプログラムを読み込む際は、パソコン上で”CLOAD”という命令を打ちこんでから、自分でカセットレコーダーの再生ボタンを押す必要がありました(一部シャープなどの機種では自動的に再生が行われた)。で、その際に何をトチ狂うのか録音ボタンを押してしまうということをやってしまうワケなんです。するとどうなるかというと大事なプログラムを記録した部分に無音のデータが上書きされると・・・

 これとは逆に、パソコンに必死こいてプログラム入力をしていて、さあ保存しようという段になって、本来は”CSAVE”というコマンドを打たないといけないのに”CLOAD”コマンドを打ってしまう。そうして今まで打ちこんだプログラムは、その瞬間パーになるという・・・

 そんな単純なミスをしなかったとしても、音楽用のカセットに音楽用のカセットレコーダでやっている限り、録音レベルが不適切で、保存したはずのデータが読み込めなかったり、テープが微妙に伸びてしまっていつの間にか読み取りエラーを起こすようになったりと、悲劇のネタには事欠きませんでした。

 私もしょっちゅうこの手のミスでウナダレまくっておりました(涙)

 

第4話(2007年4号)

 

 

キーワード:1985年

 1985年というのは激動の年であった。

 日航ジャンボ機は墜落し、豊田商事永野会長はマスコミの前で刺殺され、首都圏および大阪の国鉄通信ケーブル33カ所が中核派ゲリラに破壊され、あまつさえ阪神が優勝してしまうというくらい激動の年であった。

 という話は置いといて、問題はプラザ合意です。この年ニューヨーク・プラザホテルで開催されたG5(先進五カ国蔵相会議)に於いて発表されたプラザ合意は、後のバブル景気と呼ばれる時代への引き金となりました。

 なんでそれがコンピュータと関係があるのかと言われれば、バブルに踊っていたのは不動産屋や金貸しやマスコミだけではなくて、実はコンピュータ業界だって十分踊っていたよと云うことです。

 一例を挙げてみましょう。1985年のこの年、旧通産省の主導のもとあるプロジェクトが発足します。その名も”Σ(シグマ)計画”。1990年には60万人のソフトウェア技術者が足りなくなると云う、強迫観念と余計な皮算用のもとに開始されたそのプロジェクトは、まるでバブル景気の終焉と呼応するかのように5年後の1990年、いまだ関係者が口にのぼらせることをためらうような悲惨な結末を迎えます。

 つまり250億円もの巨額な国家予算を注ぎ込んでおきながら、何一つ成果が出なかったのです。(未だにこのプロジェクトは関係者にとって禁忌事項らしい)

 まあ、そういう時代への走りだったわけです。

 ついでに書いておくと、1985年は任天堂からスーパーマリオブラザーズが発売され、マイクロソフトからはWindows1.0が発売されます。前者は4000万本の爆発的ヒットとなりますが、後者は鳴かず飛ばずの売れ行きでした。まあ、そういう時代でもあったわけです。

 さらについでに、この年は電電公社が民営化されNTTとなります。ここから通信の自由化が始まり後のインターネットにつながる時代が築かれるわけです。

 さらにさらについでに、この年のNTTから今の携帯電話の先駆けとなる、日本初の移動電話(自動車電話を除く)が発売されます。ショルダーフォンという名称で3kgもあって持ち歩くには根性がいりましたが・・・

 

第3話(2007年3号)

 

 

 

キーワード:カシオPB−100

 1980年代に普及した小型携帯用コンピュータをポケコン(ポケット・コンピュータの略)と呼んでいた。

 日本でのポケコンの皮切りは1980年に発売されたシャープのPC−1210でした。そしてその1年後に同じシャープからPC−1500から発売された。このPC−1500は、機械語のプログラミングも可能で、秀逸だった周辺のカラープロッタプリンタと相まって非常に人気を集めた。しかしながらカラープロッタプリンタも同時購入すると10万円超えという金額は、貧乏学生にはとてもとても手が出せませんでした。

 そこに出てきたのがカシオのPB−100でした。14,800円というロープライスにより爆発的に売れました。

 派手なゲームが出来るわけでもありませんでしたが、科学技術計算やちょっとしたミニゲームで遊ぶには重宝するマシンでした。

 ちなみに矢部君が使っているのは、厳密にはPB−100Fです。1984年に発売され、メモリが倍になり、BASICも拡張されておりました。

 余談ですが、マンガでは矢部君が電池入れ替えてゲームを始めていますが、当時は今のようにフラッシュメモリーなどは使っておりませんので、電池が切れると中のプログラムは全部消えちゃって残りません。

 

 

第2話(2007年2号)

 

 

キーワード:昔は1メガ1万円

 メモリ(DRAM)が1メガバイト1万円という値段で売られていたのがいつぐらいだったかというと、だいたい1991年頃です。当時はまだ増設用にはSIMMというモジュールしかありません。速度的には80ns(12.5Mbps)程度でした。

 現在(2007年1月)は、DDRII−533の1ギガバイト品が1万円を切り始めています。約15年で、値段は千分の1、速度性能は40倍に上がった計算になります。

 今のところまだムーアの法則(半導体の集積密度は18〜24ヶ月で倍になる)が生きております。

 

 

第1話(2007年1号) 扉ページ

 

キーワード:IT

 扉ページ、のっけからこの煽り文句です(笑)

 ITという用語も日常茶飯時に使われるようになりましたが、これが”Information Technology”の略だと云うことを知っている人間はおそらく半分くらいでしょうか。”I”を”Internet”とか”Intelligent"とか思っている人も多いと思われます。直訳すれば”情報技術”という意味の言葉ですが、本来は”情報戦略”的なニュアンスの言葉です。

 まあ、あまり土台がしっかりしていない言葉が勝手に一人歩きするとドンドンと明後日の方向に意味が変化します。今ではITと言えば”I:インターネットって、T:たのしいな”もしくは、”I:インターネットで、T:とりあえず一儲け”程度の意味に変貌しているような気がします。